宮古島空港から伊良部島方面に車で約10分の港にある久松五勇士の顕彰碑。

久松五勇士顕彰碑3この顕彰碑は、日露戦争中に日本海へ向け北上するロシア・バルチック艦隊を宮古島民が発見し、久松の漁民5人がその旨を伝えるため電信施設のある石垣島へサバニ船を漕ぎ、124キロの荒海を乗り越えその任務を果たした彼らの勇気と偉業を「久松五勇士」と称えたもの。

顕彰碑に刻まれた文を要約すると

久松五勇士は、日露戦争たけなわの明治38年5月25日、ロシアのバルチック艦隊が宮古島西北洋上を通過したことを大本営に急報すべく、波高き太平洋上をサバニで乗り切り5月27日早朝に石垣島の八重山通信局より「敵艦見ゆ」の打電をさしめ、その大任を果たした。

積極果断よく祖国の難にのぞみ忠君愛国の至誠(しせい)に燃えて国の大節に尽くした壮挙は世の亀鑑なりとして海軍省をはじめ各関係機関より数々の感状表彰の光栄に浴した。この久松五勇士の功績を後世に伝えるために建立された顕彰碑である。

自らの故郷を守るため、自らの国家を守るため、日本本土から遠く離れた島々に至るまで国民が一丸となっていた時代があったのです。

久松五勇士顕彰碑 久松五勇士顕彰碑2 久松五勇士顕彰碑4 久松五勇士顕彰碑5

場所:沖縄県宮古島市平良(久松地区)
地図記号:24.784312, 125.262666
資料:久松五勇士(ひさまつごゆうし)(Wikipedia)

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