石垣市立大浜小学校隣り、500年前の八重山の英雄オヤケアカハチ之像です。
波照間島出身のオヤケアカハチは石垣島の大浜村に移住しました。そこで琉球王朝と戦い破れたものの、後世の人たちはその戦いを「英雄」と讃えました。
一方、出身地である波照間島の人々はこの「英雄」説には否定的です。波照間島にある「オヤケアカハチ生誕の地」の石碑は、雑草が生え茂る敷地内に置かれているだけで、そこには「英雄」ではなく「英傑」と書かれています。同じ集落の中に「長田御嶽」という石碑がありますが、その長田大主のことを「英雄」としています。
二人は同世代で家も近く、子供の頃は一緒に遊んでいたそうです。やがて大きくなるにつれ豪腕なアカハチは周囲の人たちの手に負えない暴れ者になり、謀反(むほん)を起こして島から出て行ったそうです。なので波照間島でのアカハチ評は「ならず者」なのです。
長田家は琉球王朝直属の家柄であったので、王府から無法者の討伐を命じられた長田大主はアカハチを追って石垣島に渡りました。そこで幼馴染みが対決し、兵力を誇った長田大主がアカハチを討伐したのです。
石垣島ではこのアカハチを討伐した長田大主を讃えることはなく、その名前すら知られていません。島によってそれぞれの評価は大きく異なります。
アカハチ祭り
「オヤケアカハチ之像」が建立された2000年より、毎年旧暦3月3日直後の土曜日に大浜小学校隣りの同地で開催されている。
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